幸福や希望といった図りにくい概念を対象に、検証可能な根拠を追求する研究が広がっています。それはきっと楽しいからだと、年明けに参加した幸福学のワークショップで感じました。
①自己実現と成長
②つながりと感謝
③前向きと楽観
④独立と自分らしさ
講師の前野隆司教授(慶応義塾大学)は、幸せのメカニズムを4つの因子で説明します。ついイラっとしてしまう自分から抜け出すために劇をつくって演じるなど、時間があれば高度なワークにもぜひチャレンジしてみたいと思いますが、3~4人のグループで自分の夢について、1週間以内、1年先、10年先など、具体的に話し合うだけでも、ドーパミンが放出れて幸せな気分になります。誰かが「それ、わかる~!」なんて言ってくれようものなら、共感がつながりや感謝の気持ちまで呼び込んでくれます。
つい先日、朝の情報番組(あさいち・NHK)で前野先生の授業の様子が放送されていました。ある学生は「つい溜息をつく癖があるけれど、上を向いて歩くと溜息はつけないことに気づいた」と言ってました。なるほど~、確かに。上を向いて歩いていると、目にするもの、聞こえてくる音、感じる風・・・いちいち幸せだなぁと思えてきます。
でも、足元にも何かいいもの落ちてそうですよね。つまらない、取るに足らないもの。小さくされたもの。
「1★9★3★7(イクミナ)」で第3回城山三郎賞を受賞した辺見庸さんが、昨日(1/30)の記念講演で100年前のロシアや80年前の中国、そして現在と近未来のアメリカ、日本を行き来しながら、いま世界でなにがおきているのか、歴史の同時性と相似的な反復性を指摘しました。重く、低く、焼き付けるように預言の鐘を鳴らし、最後に、「生活の現場から世界を見上げる」と、これからの生き方について態度を示して2時間の講演を閉じました。「無用なもの、役に立たないものを尊重し、最も低いところから世界を眺める」と。 ふ~む。そこまでの覚悟は私には。。。
鐘の音は頭に響き続けると思いますが、私はいまいる場所で明るく上を向いて歩いていくことにします。何か踏みつけていないか、いいものが落ちていないか、気にしながら。
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