農ラボ ふりかえり

●第8回5月8日(金)【ZOOM農ラボ開催報告:農的まなざしが社会を(子供を)育てる】
ゲストスピーカー:髙野啓子(旧姓・吉岡)さん
千葉木更津で里山の学童保育に携わり、「真の豊かさへの鍵は百姓が持っている」との確信に至る。「まちづくり」ならぬ「村もどし」「里がえり」実践人。
「横浜ノイエ」用務員。...

今、コロナで世の中のICT化(Information and Communication Technology)が急速に進んでいるようですが、正直私自身は抵抗がありました。
今回のゲストスピーカー、高野さんご自身も言われていましたが、「バーチャルよりリアルを!!」「家の中よりも外へ!!」
その精神は、“農”をテーマにしている我々にとっても合言葉のようなもので、これまで行ってきた市民対話も、人と人が現実に顔を合わせて言葉を交わすことにこそ意味がある、という想いが根底にありました。
子供の教育にしても、親同士の単なるおしゃべりにしても、現実に会って話すことでしか伝えられないものが絶対にあるという、確信というかこだわりというか、そうゆうのがあったんです。
その想い、今も変わりませんが、今回のことではほんと色々考えさせられることがありまして、私自身も、そしてフォーラム・アソシエももしかすると新しい段階に入ったのかも、な事がたくさんありました。
この、zoom農ラボも、そんな新しい試みの1つです。
コロナ下。恐怖に対しての感じ方が本当に人それぞれで、非常にデリケートな問題となってしまうことや、でも気にしすぎてあらゆることが停滞することのストレスや、逆に不必要なものの存在が浮き彫りになったり。
ただひとつ分かったことは、こんな時だからこそ、やはり人と人との対話が大変重要であると改めて思わされました。言葉を交わさなければ、何某かの想いを伝え合わなけれ他人との違いに気が付くこともできないのですから。
そしてこんな状況に陥ったことで、気が付かされたことも沢山あるような気がします。
特に今回のテーマ、「子供に今、必要なこと」とは何か、イレギュラーな毎日の中で否応なく、子供の時間と向き合わざるを得なくなったお母さんお父さんたちは多いと思いますが、どうだったでしょうか。
このような状況の中で、今回のスピーカー:髙野啓子さんのお話を伺うことができた自分は非常にラッキーだったと思います。
参加者は、途中入場、途中退出も合わせて全部で5~9人ほど。人がそろうまで雑談→スピーカーのお話→意見交換・感じたことの共有 など、リアル農ラボとほぼ変わらない流れ。そして雰囲気♪(←これ大切)

3人の子の子育て中に千葉県木更津市に転居し、自然の中で社会性を身に付ける土曜学級「里山の学校」と出合い、保護者から講師の立場となって沢山の子供たちと関わったこと。「畑のおばさん」として親しまれる中、子どもたちの生き生きとした表情の中に、今の社会に欠けているもの・見失ってはならない、目には見えない大切なものの存在をとらえ、伝える活動をしていること。
ご本人の直接の言葉には叶いませんが、私が感じたことを含めて印象に残ったところを。
その里山学童保育を主宰されていた園長先生(お坊さん)に言われたことは、子供の育ちにおいて9歳までに必要なのは、5感を育む活動なのだということ。
学校の教育とは全く異なる遊びの場という環境も非常に魅力的なのですが、そこで学ぶのは子供だけではなくて、そこにいる大人こそが、何よりも大切なことを思い出させて貰っていたのではないか。。そんなことを感じました。
高野さんが子供と耕した畑では、スーパーで買ってきた大根を全部植えてみるとか、自由な発想の中で営まれてたみたいですが、そこで、雨が降った次の日も、必ず畑に水をやりにくる少女、ナツコの話がありました。普通、畑って作物にもよりますけど降雨のあとは水はやらないものですが、ナツコはどんな時も必ず水をやるそうです。すると不思議なことに少女の気持ちに応えるように、ナツコの畑は他よりも明らかに実りがよかったのだそうです。「人の想い」「愛情」そうゆうものが、作物を育てること、それは人間と変わらない、目には見えないものの大切さそれは、偏差値とか成績とか、数字で表すことはできない、感じることでしか受け継ぐことができない自然の姿なのかもしれません。
今、巷では感覚の育っていない子供が増えているのではないか、そのように感じておられるそうです。
化成や農薬を使って作られた、形ばかりで味わいもなく栄養価も少ないの野菜のように、体格はよくて大人のように見えても、自分で感じることや深く考えることが苦手で、他人の言葉を鵜呑みにしやすく、影響力のあるyoutuberや注目のハッシュタグ、いいねの数に右往左往する若者たち・・すみません、私の個人的な脚色が入ってますが(笑)、要はインスタントなものを食べて育ったら、インスタントな人間ができてしまうのではないか、と。
自分も子育て中の母親として、ハッとすることが沢山ありました。
また、現在高野さんが生まれ育った生家(江戸時代から受け継がれる旧家。明治期に建てられた物置や、離れや井戸が現存)の保存活動を行う中で、家屋の素材が人与える影響についても言及され、「新建材、コンクリートに反射する音は精神を病ませるのではないか」という意見に、なんだか思い当たる所がありました。
赤ちゃんの泣き声。室内で泣き止まない赤ん坊に追い詰められる経験は多かれ少なかれ育児中の母親の多くが経験するものだし、騒音を理由に住民の反対に会い、保育所が立てられないというニュースは他人事ではありません。 でも、昔はそんなこと言う人、いなかったんですよね。
なんて心の狭い大人が増えたもんだ、と思っておりましたが、でも、室内で泣きわめく赤ん坊を一人であやし続けるのはそれなりにしんどい事だったのです、私自身も。
そういえば、母親の実家(宮城県の山奥・法事などで人を呼ぶため仏前のある大部屋のある本家)で葬式などに参列する時には親族の誰かしらが幼い子供を連れていたはずですが、それほどうるさいと思った記憶も、赤子が泣いたからと言って怒る人を見た記憶もありません。それは親戚同士だからもあるでしょうし、田舎と都会では家の広さもだいぶ違います。でもそれが、音の反射に関わってストレスを上げているなんてあまり考えたことがなかった。
我が家もマンション住まいで、子供たちが小さい時は走る音がうるさいと下の階の住民から苦情を受け、子供が大きな音を出す度に叱りつけていた苦い記憶が蘇ります。
ああ、高野さんの育った家(昭和レトロハウス保存計画として地域に開放)に行ってみたい・・
まぁ、それはよいとして、今の子供達に必要なのはそういった生命力・感性を磨く場所ではないか、という高野さんの想いには共感しかありません。
高野さんご自身のお子さん達3人にもそれぞれ不登校の時期があり、現在はみんな独立しておられるようですが、その時の高野さんの反応も対応も神というか、面白くて。
「わたし、子供がこんなに、今の自分にはこの環境(学校)は必要ないんだ、ってハッキリ意思表示ができるってなんて素晴らしいって、感動してしまって・・」という事で、不登校期間は砂浜に連れて行って今日食べる物を探すとか、芸術的センスを感じるタイプの子は、浮世絵に造詣の深い知人に預けたり、高野さんらしく直感的に過ごす日々を送ったそう。
そして、学校で過ごす方がよほどラクということに気が付いた子から、復学していったとの事です。(笑)
最後に、熊田 千佳慕さんの「ハイカラ人生記」の中の言葉「自然は愛するからこそ美しい」をあげ、「腑に落ちるのに50年掛かった」と結び、どんな子供も、育ちのスピードや良いところはひとそれぞれと。昔の定規の実物を画面に映してくださり、1メモリがなんと大きいこと、1mmの誤差なんて何の意味も持ってはいなかったころの大らかさがそのまま残っているような、不思議な定規を皆で温かく眺めて、お開きとなりました。
高野さんのお人柄や活動に惹かれて参加してくださった若いお母さん達、前回の農ラボより引き続き参加くださった方など、多様な人々の対話の場となり、本当に楽しかったです。この場を借りて、登壇者・参加者の皆様に改めてお礼を申し上げます。
今後のアソシエの企画にも、私自身の子育てや地域活動の中にも大いに取り入れていきたい、重要な示唆が沢山詰まったお話でした。
オンラインでの農ラボに沢山の方が協力してくださったこと、その第一回がとても有意義に過ごせたこと、これもまたひとつアソシエの自信につながったかなとも思っています。(貞末)

●第7回 2月14日(金)國光博敏さん(自然派調理人)

農ラボ第6回の井上恵介さん(陶芸家)と、「無農薬栽培の畑の応援と無添加フレンチを頂く会」を開催しているシェフさんで第6回では参加者としてご来場くださっていました。
四ツ谷のオテル・ドゥ・ミク ニで修行後、シェラトン東京 ベイ、ボーセジュール、ホテル & タワーズ等を歴任。
素材へのこだわりを貫き、自然栽培の生産者や漁師、酪農家などの方々と安全な食材を探求する姿勢には國光さんご自身の生き方や哲学が表れていました。メイントークでは時代を振り返りながら当時と今の外食産業を巡る食材の変化などについて語られ、「どんな生き物も、食べたものからできている、逆に言えば食べたものからしか、(体も心も)作られない」ということを強調されていました。
野菜の購入を決める時には、農家の方と実際に会い、その畑の土も口に含んで相性を確かめてから契約を結ぶとの事。農と向き合う時、私達は意識せずとも普段使わない五感を刺激される機会に会うものですが、その究極には匠の領域があり、そうゆうものが今どんどん失われているとしたら、それは凄く悲しい。前回に引き続き、自身の感性・技術が頼りの匠を極めた人の貴重な経験・言葉を共有させて貰いました。

余談としては、オテル・ドゥ・ミクニの三國さんはヤクザより怖かった(笑)とか、当時の調理師たちの一日の勤労時間は日によって20時間越えなども珍しくなく、それでも労働に見合うだけの収入があり、自分が好きで取り組むことであれば、特別ブラックだとか不本意なストレスを感じながら働いたわけではなかったこと、世代間で働き方に対する意識の違いなども感じさせられました。
ブラック、って何でしょうかね。本人が好きでやってることであれば、何かに夢中で一生懸命になることこそ、人間の本質のひとつかもしれません。
昨今は、特に小泉構造改革の後、人材派遣業などの悪質さが取り上げられることが多く、“人間らしい働き方”を考えさせれましたが、そもそも、昔ながらの職人堅気な世界に生きる人々にとっては“ライフワークバランス”なんていう概念自体があんまり馴染まないものかもしれません。さらに言えば農業だって畜産業だって、ILOや厚生労働省の考える定型的なライフワークバランス的には滅茶滅茶ブラックな仕事じゃないかと思ったりします。四季の仕事を確実にこなさなくてはならない農家さんは繁忙期には土日もなく自然に合わせて生活するよりないし、牛のお産は昼夜関係ないですし。

後は、無農薬とオーガニックは違うんだよってお話があって、そこも大いに共感しました。
一番よく分かるのは、人参だけのポタージュスープで、人参をやわらかくなるまでずーっと煮込んでミキサーにかけて塩入れるだけのスープを作ると味の違いが歴然との事。一度人参が足りなくて近くのスーパーで購入した人参で補った所全然違うものができてしまったそうです。

これは、よく分かります
ほんと、無農薬の野菜って美味しいの。生で食べるとよく分かるもの、調理すると際立つもの、それぞれあるんだけど、選んで→調理して→食べてみる の一連の中で気が付くものっていうのはあって。素材を吟味するプロの方がこうして公に無農薬野菜推しなのはやはり嬉しい。

私自身はこれまでの自分の食と農に関する活動の中で、必ずしも農薬の全てを否定するわけにはいかないっていうことを嫌というほど実感させられてきた場面は多くありましたが(今でも)、それでも、残しておきたい、失ってはならないものがあるっていうことを、それを少しでも社会に反映させるための活動を続けていきたいと改めて感じさせてくれました

(貞末)

◆ 第6回 井上恵介さん

土物のうつわも固定種野菜も、共に土作りから始まるという。なんかいきなりぐっときますね。
年に10回ほど無農薬野菜応援隊と称し、農業体験と無添加フレンチの会を催していて、そこで井上さんご自身が栽培された無農薬の野菜などを使用し、土物のうつわに盛って頂くまでを体験できるようになっているそうです。

農家、学生、環境活動家、教育関係者など、多彩な顔ぶれの登壇者たちに続き、今回はアーティスト!

わたし、アートを生業にしてる方って個人的に憧れています。自分の感性を信じるっていう事が、今は特に求められているんじゃないかと思っていて。農ラボに来てくださった方って、色々な肩書?や活動を持っておられましたが、皆さんどこか、アーティストみたいな、生き方を貫くっていうのか、そんな一面を持っていましたよね。

そして、今回は“登壇者”という視点で振り返りをしていますが、農ラボにおける“登壇者”は、どこかの会での“参加者”でもあります。

私達が、農ラボが一番大切にしているコンセプト、“対話”。双方向性があって初めて、実際に足を運んで頂ける意義があると思っています。

その“対話”の目指す目的は何か。
 
ひとつは、参加者それぞれの、新しい発見や視点の開拓、互いの思考力を鍛える、学びの場となること。

そしてもうひとつは、“探求の共同体”という対話集団を形成すること。

コミュニティにも色々あると思いますが、ひとつのテーマを論じ、交流する場や機能が活きているとき、対話を続けることによって自然に形成される共同体そのものが、とても価値のあるものだと思っています。

SNSづたいに集まってくる参加者は住んでいる地域も職業もバラバラで、出たり入ったり一回きりの人もリピーターの方もおられますが、その瞬間その場にいるメンバーは皆で、ひとつのテーマの探求の旅に出るという、共同作業を行っていると。

なかなか時間に追われることもありますが、そんなことをイメージしてやってます。

私達に残されている時間は、そんなに多くはないのかもしれない。こうゆう発言自体が、煙たがられてしまうことも多い中で、思考停止に至らずに、できることから始める、希望の種を蒔き続ける沢山の実践者が、共に市民対話の場を創り、その共同作業に力を貸してくれました。

共同体の輪の中に、入ってみませんか?
明日は金曜日です。

◆ 第5回 西村ユタカさん

都市生活者の“農力向上委員会”なるものを作って、平勤休農のライフスタイルを実践・拡げるために尽力されているパワフルな活動家。ご自身の事業に行き詰った時、1972年に発表された『成長の限界』という本に出会い、“脱成長”、脱消費社会へのフェイドアウトが必要だと思い至ったことが志のきっかけで、持続可能な循環型社会を望むのであれば、自ら土を耕して少しずつでも食べ物を自給していくことが重要との認識から、横浜・町田の田んぼや畑でチームで耕す参加型のサポーター制度を始めるなどの活動をされています。

西村さんご自身がIT関係のベンチャーで起業のご経験もあるという背景からか、『成長の限界』という言葉がなにかこう、ぐっとリアルなものに感じられ、特に印象的であったのが“脱・成長”を強く掲げておられた事。
生半可なことをやっていると、自分だって加害者なんだぞと、そんな批判精神まで感じさせられる、ドキっとさせられるものがありました。(とても話しやすくて面白い方ですよ♪)

でも、私は自分のことは棚に上げても、個人的には大いに拍手喝采を送りたかった。だって、新聞読んでもテレビを見ても、『経済成長』だの『GDP伸び率』だのが世界共通の正義のように発信されてきた(日本においても顕著)中で、経済成長の負の側面を声高に叫ぶ大人の方の存在というのは貴重です。

究極的には、経済成長を止める、あるいはマイナス成長を目指すことこそ一番CO2排出抑制になるのでは?なんて思えてしまいます。グレタさんが大いに怒ってるのは、そうゆう大人のダブルスタンダードがいかに偽善に満ちてるか、ストレートに表現したらああゆう形になったのでしょう。

結構、そうゆう意味ではきわどい内容でもあったのですが、そこは皆さま登壇者含めて対話の能力も高いし、大人ですから、その後の議論は弾んで時間は多いに足りなかったわけですが、本当に面白かったです。(また飲みに行きましょう!)

第4回 風間理紗さん

カリフォルニア発、食育菜園を日本に拡げる活動団体、エディブル・スクールヤード・ジャパンのメンバーで、“地球市民としての自信と自覚を育む”エディブル教育の実践を目指す芯の強いお母さん。自身のお子様が通われている公立小学校にて、緑化ボランティア活動から発展し、子供たちの放課後活動の一端として、花壇の一部を共に耕し、交流・体験する場を開くことに。その実践の様子などをシェア。

“農”を起点とした、教育分野に視野を拡げることとなった奥深い会でした。私達は、環境問題などさまざまな側面から社会やシステムに疑問を感じて、これまでの暮らしを見つめ直し、生活環境の中に“農”を取りれるという方向性を見出している中で、本当に大きく社会が変わっていくという時には次世代を育てるということの重要性は言わずもがなで、むしろ要になる部分でしょう。参加者からは口々に、今と昔で変わったことや、教育機関の中で個人的に体験したことなどが語られ、未来に向けて必要な感性を育むことへの重要さに共感が集まりました。
こういった教育や精神が少しづつでも世に広まっていくことこそ、未来に向けた“希望の種”に他ならないと思う。

◆ 第3回 野々川尚さん

農ラボ第一回で参加者として足を運んでくださった野々川さん。なんと、海外を含めた有機農業歴ウン十年という実践者で、国内外で技術指導にあたる、プロ中のプロの方でした。そんな方が一市民として、農ラボにきてくれたとは・・後から考えるに、それほど日本の農業界というのはある意味で閉鎖的で、複雑な利害関係が絡む農薬・化学肥料の扱いや、体制的な限界について、自由に正面から向き合う場というのが、およそ限られているということの表れかもしれないなぁ、なんて思ったり。。分かりませんけれど。

とにかく一度、シェア記事に目をお通しください → <iframe src="https://www.facebook.com/plugins/post.php…" width="500" height="798" style="border:none;overflow:hidden" scrolling="no" frameborder="0" allowTransparency="true" allow="encrypted-media"></iframe>

登壇者も参加者も、どちらかといえば市民が気軽に親しめる“農”に関心のある、家庭菜園ガーデナーや市民農業コミュニティに属するような方々が多い中、野々川さんは間違いなく生業としての“農業”で文句の付け所なく実績を残し、国内外にその技術を認められている一流の仕事人であられた。オーガニックで、無農薬で、美味しくて美しいという。

この会で示唆された日本の農業にまつわるさまざまな体制の問題などはもはや言うに及ばず、国家において食と農の在り方を考えることは、国の存続・方向性を決定付ける避けがたいテーマの1つに違いない。

その場の共通認識として、暮らしを豊にする“農”が拡がっていく未来を志向しながらも、“農業”が必要ない社会というのはあり得ないというのは、みんな思っているわけなんです。

地球温暖化抑制のためには、生活を150年ほど前に巻き戻して自給自足せよという話もあるけど、それは難しすぎるし、というか、部分的に、限定的に可能であっても、それを全体に強制するようなことは、かえって多様性のない生きづらい社会だよね、という事もなんとなく感じていて。

“農”と“農業”がお互いによい影響をもたらしながら、持続可能なシステムの創造に力を合わせるような、、そんな理想をこの場だけでも語って、みんなで考えたいものです。

この問題に関しては、一度じっくり場を設けて、また考え直したいというか、改めて対話の場を持っていいかもしれないと思うほどです。

続きます。

◆ 第2回 山口大地さん

横浜国立大学の学生さん。農で地域を活性化する、というテーマに取り組むプロジェクトを学内に立ち上げ、地元農家に教わりながら育てた野菜の直売や地域の農資源を活かした商品開発、農と食をテーマとするイベントの企画・運営等を行っている。学生さん達が若い感性で取り組んだことだけあって、単に食料を生産する、ということにとどまらない“農”のさまざまな側面や可能性が示されており、地域社会における農業の在り方を市民が考えていくことはとても大切なことではないかと感じさせられました。

なにしろこんなムーブメントが若い人達に起きるなんて(山口氏の情熱に動かされた部分はあるにせよ)、農は人を元気にし、活力を与えるっていうこと、多様な娯楽に恵まれた現代の若者達においてさえも、青春を費やすに値する、選ばれる魅力が農にはあるんだということを、彼は証明してくれていた。本当にそれが希望の種です。老いも若きも楽しく盛り上がり、世代を超えてつながる共通テーマになれる、農の魅力を語りあかすような、楽しい対話の会でした。

◆ 第一回 中沢有紀さん

横浜の都築・大熊町で有機農業を営む、子育て中のママ農家さん。私達フォーラム・アソシエが市民農園の開設プロジェクトを掲げた際に、最初に協力をお願いして、快諾して頂いた懐の広いお母さん。今はアソシエの農園プロジェクトのコアメンバーで、農地の確保に至った暁には技術指導などの面で運営に携わって頂く予定をしてくださっています。

発展途上国の支援を行う民間会社で開発コンサルタントをしていたという中沢さんは、その転身もあざやかながら、困難を乗り越え一歩一歩、自身の目指す農業の形を探る姿は力強くありながらも、自然体でしなやかで、どこか親しみやすい雰囲気。対話上手で、参加者同士が自然と言葉を掛け合うような、調和の取れた空気を作ってくれていました。